幸せとはいったい
どうものりしおです。
今日は幸せについてふと考えたので文章として残しておこうと思います。
まず僕が感じていた幸せというものは
①他人という存在があることによる幸せ
と
②自身が肉体的に感じる幸せ
の大まかに二種類に分けられる気がします。
厄介なのが「①他人という存在があることによる幸せ」ですね。
結局こいつを変にとらえすぎて苦しんでる人が多い気がします。
人間は社会を形成して生きる生物であるため、どうしてもその社会において役割というものを持とうとしますね。んで、役割を果たしていると思える時に感じるのが「所属感」だと思います。
なんか感という漢字が重なって変な感じですが・・・。
この「所属感」ってものが、結局のところ人間の幸せと言われるものだと思います。
例えば・・・
すごく計算が早いから経理の仕事抜群だね!
君は見た目がいいからモデルだね!!
といったものだと思います。
こう言われると、僕はこの社会から認められている!うれしい!!って感じるんだなと。他人に必要とされてる!ってすごく幸せなことだと思います。
人間は元来分業の体制をとってきたため、この「役割」というものを欲しているのです(言い切ってしまった・・・)。
ただこの所属感はすごく甘い蜜や薬物と少し似ているのかもしれません。この所属感があると脳みそが「ハッピー!!」ってなっちゃうから仕方ないでしょうね。
分業の体制をとる上で、個人に役割を与えようと思うとその個人の秀でた部分や優れた部分に着目する必要があります。つまり「優位性」ってものが必要ですね。
ここで多くの人が陥ってしまうのが、「人より優れていればいいんだ」という思い込みですね。
優れていることは素晴らしいんですが、所属感という蜜を求めるがあまりすべてのことで他人と比較し優位性を示そうとしてしまうと。
これが「①他人という存在があることによる幸せ」というものを厄介にしている原因だと思います。
人よりいい暮らし・・・
人よりモテるようになりたい・・・
それが
○○ちゃんより賢い・・・
とか
○○くんより上司の評価がいい・・・
ってな感じで
本来備わっている人間の分業能力が人々を苦しめているんだなと感じます。
この①の幸せを他人の為に力を使った結果得られる幸せであればその人はとても幸せだと思います。他人より優位にたつことで①を得ようとするときっと空虚なものが横たわっていると思います。
結局人間社会的な生き物だから、この人間社会というコミュニティに貢献できることが最高の喜びだからですね。
まぁ死ぬほど長い文章になったけど、一年後の私がしっかりこれを理解して読み返していることを期待します。
今日はスーパーで買った108円のスティックパンを食べたら思わぬ美味しかったということです。
友人の結婚式に3万円も包まないといけないので行きたくないです。
以上、明日も頑張って書くぞー!!